観想への道(リカルドゥスの愛)1

 「ぼくは何かを持っている。それは仲間です!」という名言で昨年、一世を風靡したのは早稲田の斉藤投手ですが、私も同じようにその言葉を言いたいと思います。田舎に引っ込んでしまった私に、常に神学の最新情報を送ってくれる神学部時代の大切な仲間がいます。その友人が送ってくれたたくさんの資料の中から、上智大学哲学科の中村先生の論文を紹介したいと思います。
 これは『中世思想研究』に載ったものですが、中世哲学会が年1回、基本的に学会発表を受けて発行している学会誌で、先生の論文は2010年最新版の巻頭論文です。
 文章が多少難しいので、分かりやすく書き換えることをお許し頂いて、且つかいつまんでご紹介します。
 これを選んだのは中世時代の読解でありながら、私たちが黙想する時に非常に役に立つと思うからです。また、中世時代、聖書の物語をこのように霊的に読解していたことを知ることも、私たちにとても大きな開眼をさせてくれるでしょう。
『サン・ヴィクトールのリカルドゥスの思想における愛』
      中村秀樹 (哲学博士。神学修士。現上智大学文学部哲学科講師)
1.愛による認識の構成
 リカルドゥスは「創世記25章」以降のヤコブの家族の物語を霊的に解読することを通して、観想の前段階が整えられていくことを説明する。
1)レアがヤコブの第一子ルベンを産むことについて
ルベンの誕生は、人間が自分のありのままの姿を神との関係において見ることによって、自分を整え始めることを象徴している。
 →人間は自分の不完全さに目を向け、自分に善が欠けていることに気づく時、神の完全な善の前に畏敬の念を抱くようになる。この神への恐れを基点にして徳が形成されていく。
 →この神へ向かう第一の徳は、神が人間にとって「誰なのか」を人格的に知ることから始まる。
 →神の前で、自らの不完全さと罪過を真に認め、畏れを持つ者は、深い苦悶へと導かれる。
2)第二子シメオンの誕生について
シメオンの誕生が象徴するものは、苦悶である。
 →神の前で真に痛悔し苦悶する者は、次に、神のゆるしと希望へと目を向ける道が与えられる。
3)第三子レビの誕生について
レビの誕生が象徴するものは、希望である。
 →自らの罪過を痛悔する人間を、神はゆるす。その神への信頼から人と神との間に親愛が結ばれ始める。
4)第四子ユダの誕生について
ユダの誕生が象徴するものは、愛である。
 →人間は愛する神をあますことなく認め、賛美する。この愛によって、人は神へと秩序づけられる。つまり愛によって人間は真の神を知りたいと望むようになる。なぜなら、人間は愛によって、愛した者へと完全に惹きつけられ、余すことなく知りたいと駆り立てられるからである。
★愛が認識の力を高める。その認識は段階的に秩序付けられる
 1・思いめぐらすこと(は想像力による。)まだ向かうべき方向性を知らない。
 2・黙想(は理性による。)愛の徳が形成されてはじめて可能となる。
 3・観想(は知性による。)