『小さい者とともに』ジャン・バニエ(5)

 『ラルシュのこころ』 ―小さい者とともに、神に生かされる日々―
                               ジャン・バニエ(Jean Vanier)
【第三章 コミュニティーに脈打つ求道性】
 ラルシュで二年間過ごした後で、私は自分の生涯の中で、こんなにも幸せを感じたことはありませんでした、と打ち明けてくれたアシスタントを思い出します。でも彼は出ていかなければなりませんでした。多くの人が留まることができないという事実は、このコミュニティーの生活が、どんに美しいものであっても、一つの戦いであり、ある意味で喪に服する要素が含まれていることを意味しています。マスメディア、特にテレビは、新しいこと、感じやすく表面的な経験、大きなことをする欲求を刺激します。個人的な富を求めずに、まず小さいことに忠実に留まる事は、後退することのように思われてしまうのです。
 今日、とても多くの結婚が破綻しています。日常の平凡さとか倦怠の中に死ぬのが怖いからではないでしょうか。攻撃的で、気忙しい生活、毎日の通勤、表面的なかかわり、どこにでも顔を出すテレビ、そして苦悩やかかわりの困難さのゆえにストレスがたまっています。もはや、小さいことの中に喜びを見いだすことができなくなっています。食事をし、洗濯をし、畑を耕し、日々の単純な交流といった生活が、あまりにも小さく、意味がないものとなってしましました。数ヶ月、あるいは、数年でなく一生涯、ラルシュに留まり、日々を生きるためには、小さなことの中に愛の求道性を見いださなくてはなりません。
 私たちの社会は細分化する傾向にあります。教会の教区とか村といった所でも、友情や兄弟愛といった自然のつながりは希薄になってきています。自分自身の計画や余暇を大切に思い、各自が自分の道を歩もうとしています。それぞれの人は友だちをもっていますが、友情はすぐに排他的色彩を帯びてきます。それで、貧しい人は除け者にされてしまいます。
 人々がお互いに交流し、心を開き、いのちの意味を一緒に再発見する場、所属の場を再び創造することは、今日、生死にかかわる重大なことではないでしょうか。あまりにも多くの人が自分自身や、社会や未来に対して、さらに一般的に言えば、人類に対し信頼を失っているのではないでしょうか。
 私たちはみな、信頼と希望を再発見する必要があります。これは、心から湧き起こる愛の力を再発見することです。