観想への道(リカルドゥスの愛)4

4 愛の四つの段階
第一段階:黙想によって、精神は「自分自身」へと入り込む。
第二段階:観想によって、精神は「神へと」上昇する。
第三段階:神の方へ高められた精神は、全面的に神の中へと没入する。
第四段階:魂はキリストの中へと甦らされる。
 第一段階と第二段階は、愛によって構成される。黙想は愛が徳として形成されてはじめて可能になる。
 第三段階は、脱我の状態である。この状態において外的な事物のすべてを完全に忘れ果てた人間精神が、自己自身を知らないというまでに至り、全面的に神の中へと超えていく。観想者は脱我における神との一致の中で経験したものは、神の与え尽くす愛そのものであり、この経験は観想者の愛そのもののうちに深く刻み付けられる。愛は脱我を超え、さらに進もうとする。では愛はさらにどこへ向かうのであろうか。
 第4段階において、脱我から現実に戻ったとき、この神の愛に可能な限り従おうとする。その模範となるのはこの世に受肉し、愛そのものであるキリストである。『もはや私が生きているのではない。私の内にキリストが生きているのです』(ガラ2:20)。彼はキリストの愛の姿に可能な限り参与することに、自分の存在の意味を見出す。この段階の愛は、人間に隣人を愛するために出てゆくように駆り立てる。これが愛の最高の段階であり、「新しい被造物nova creatura」と呼ばれる。この完全性はもはや霊的上昇の内にはなく、むしろ下降、すなわち霊的へりくだりの内に、キリストにならって己をむなしくして隣人を愛する。謙遜さを通して下降するようになる。

********
 リカルドゥスにとって、神の観想は、観想者が自分本来のいのちへと導かれるための修練の道である。その途上で、人間は神が愛そのものであり、自分がまさにその神に愛されていることに気づく。この愛の認識が、観想者に現実においていっそう愛する者となっていくよう導く。これこそが神の似姿に創られた人間の完成の過程に他ならない。
 リカルドゥスの観想論は、人間が本来持っている愛という能力を現実化し、完成させるための指針となることを目指しているのである。