命の行進

 ドミニコ会の渡辺裕成神父様からのご紹介で、日蓮宗の佐藤達馬上人から次のようなお手紙を頂きました。
「南無妙法蓮華経。…現在の未だ終息しない先の見えぬ状況を前にして、この混沌として闇を除くために、そして、この原発の欲望の劫火を止める為にと奮起して、我々は全国をただただ祈り歩く誓願を立てさせて頂きました。それを命の行進と名付けます。我々の祈りが叶うかどうか分かりません。それでも各地域の皆さんの思いを背負い、それを祈りによって数珠つなぎに紡いでいき、そしていつの日にか大きなうねりになってくれればと願っております…。」
 2月4日に東海原発を出発し、3月に福島入りされました。そして、3月12日、二本松にやってこられました。

太鼓をたたきお題目を唱えながら二本松教会に到着されました。16名で来られました。8名の方が僧侶であとは在家の方々です。そのうち5名が女性でした。

到着されると、まず、教会の前にあるマリア様のご像を拝し、そして私たちにも挨拶ではなく拝礼をされ、襟を正される思いがしました。
 この日は晴れてきたものの雪が舞うとても寒い日でした。さぞかしお身体が冷え切ってらっしゃるのではないかと心配でした。

教会の中はストーブをつけて温めておきました。
教会に入るなり、まっすぐお聖堂に行かれ、お祈りを捧げて下さいました。

五体投地をしてのお祈りです。僧侶の方々のお祈りはお腹のそこから声をお出しになるので、聖堂中に祈りが響き渡り圧巻です。
 その後、お茶を頂きながらいろいろとお話をしました。
 そして、車に分乗して岳温泉に行き、温泉に入って冷え切った身体を温めていただきました。ところが、車でわずか15分の所なのに、雪がじゃんじゃん降っており、到着すると積雪が10cmぐらいありました。寒くて申し訳ないと思っておりましたら、若者たちははしゃいで雪を手に取って喜んでいました。
 温泉から戻って、夕食です。二本松教会の皆さんがそれぞれに腕によりをかけて手料理を準備してくださいました。
左の方が発起人の佐藤達馬上人です。
「他県を行進していて感じることは、やはり他県の方にとって大震災はもう過去のことになっており、関心が薄れてきているように思われる。しかし、福島に入ると、通りがかりの方が合掌して下さる…」とおっしゃっていました。

夜は伝道館に寝袋でお休みになられました。
 そして、翌朝5:30、朝のお勤めのお祈りです。キリスト教と仏教とが何の違和感もなくみごとに融合しています。諸宗教の理想の姿ですね。命の尊さを思い、人々の幸福を祈願するとき、宗教の違いよりも「祈り」による一致の方が勝るのだということを目の当りにさせて頂きました。
出発前に、マリア様のご像の前で記念撮影をしました。
そして、お題目を唱えながらの行進をスタートさせました。私も途中までご一緒させていただきました。
二本松市にある天台宗の「鏡石寺」に立ち寄って祈願しました。
 昨日、鏡石寺の川名ご住職も二本松教会においで下さって、差し入れをして下さり、いろいろとお話に参加してくださいました。川名ご住職も日蓮宗の方々の姿をご覧になって思うところがおありになったようで、宗派を超えた仏教者の集まりで相談したいとおっしゃっていました。
毎日、20〜25kmを歩き続けるのみならず、歩いている間はずっとお腹の底から声を出して唱題しておられるのですから、これこそ正に修行ですね。
 私はご一緒して歩いている間、ずっと背後で「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」と唱える声を聞いていましたが、邪念のない透明感のあるその祈りに自分の心も洗われていくように感じていました。
休憩です。車に荷物は積みこんで、ずっと行進に伴走しています。無理のないように配慮されています。
「福島から広島へ」という幟が、今回の命の行進の目的を端的に表しています。この中に福島県人こそ加わるべきではないかと思いました。私たちに成り代わり、決して楽ではない祈りの行進をして下さっているのだ、と思うと胸に迫るものがあります。
それぞれ思い思いの栄養補給をしています。右側の女性はイギリス(スコットランド)人です。カトリックから仏教に改宗したそうです。食事は菜食で、しかもなるべくシンプルなものがいいと、人参とりんごを買っておいしそうに食べていました。左の僧侶はずっと長くスリランカにお住まいなのですが、この命の行進に参加されるため日本に戻られたとのことです。

ひたすら唱題しながら歩き続けます。
思いはただ一つ、尊い命を守るために脱原発を…