仮設住宅に住むということ

 二本松市浪江町の方々が住むための仮設住宅が6月末には完成し、7月から入居が始まりました。最初、体育館という大部屋に避難しておられた方々が、旅館やホテル等の個室へ2次避難され、そして、仮の我が家となる仮設住宅へと移動されました。他人事として見ている私たちにとっては仮設住宅への移転は、もう支援は不要な安定した状態になったかのように考えて、また、3.11から5か月経ったこともあってボランティアをすることにも疲れが出て、次第に避難した方々への支援も少なくなってきました。
 しかし、仮設住宅に入られた方々にとっては、むしろこれからの生活において「支え」が必要なのです。
 二本松市には11か所に1,069戸の仮設住宅が建てられましたが、その一つ郭内公園グランドの仮設を訪問し、そこに住む方々の声を聴いてきました。

 ここは「郭内公園グランド」の仮設住宅です。ここには100戸建てられ、今現在は88戸ぐらい入居されています。
 何となく、寒々として雰囲気ですね。子供たちが夏休み最後の日を過ごしていました。


 玄関先に集まって、人々が雑談しているところへお邪魔しましたが、気さくに話に混ぜて頂きました。
 「毎日何にもすることがなくてなぁ。」お年寄りにとって、仕事もなく、庭もないから庭仕事もなく、何もすることがなく、日がな一日、ボーっとしているしかないのです。
「生きがいがない」のです。「こんな生活していたらかえって早死にしてしまうわ!」「この間久しぶりにちょっとした仕事を手伝ったら、手の皮が軟らかくなっていてなぁ。働かんからなぁ、体がだんだんダメになっていくなぁ。」


 「一日が長くてなぁ。」やはり出てくる言葉は同じです。「自分の家にいたらすることはいくらでもあるのになぁ。」近隣で何か問題が起これば手伝いにも行ったりして、自分の出番がある生活をしていましたが、仮設住宅では何もすることがない、というのです。
 ここには浪江町の方々のみが住んでおられますが、知っている方は5,6家族程度だそうです。まだ、ごく一部の方としか交流はないとのことです。


 これらはどうも家庭菜園をするために準備されたものらしいです。まだ、実際にみなさんの手にはわたっていません。夏の間、鶏糞などの肥やしの匂いで窓が開けられなかったそうです。いつから利用できるのでしょうか?これが家庭菜園ならば、このようなことを通して人々に楽しみと交流とが生まれることが期待できますね。



 仮設住宅での生活で心配なことは、冬支度がなにもないということだそうです。着るものもふとんも夏物しか支給されておらず、床板も壁も薄いですから、冬になったらどうするのか、と心配されていました。暖房器具ももちろんありません。
 床は板の上にじゅうたんが敷かれただけの作りですので、ある方は「畳」を購入され敷いておられました。厚さ2cm程度ですが、ある程度の弾力もあり、夏涼しく冬暖かい畳ですので、少しでも快適な住居にするためにはこのようなものも必要です。一枚1,580円でホームセンターにあるとのことでした。
 援助金が国や東電から出てはいるのですが、もちろんそれだけでは足りないのが現実です。ある方は、足ることを知って「援助金」が出ているんだから、とそれ以上を求めようとはされませんでしたが...。
 家が津波で流されて何もなくなってしまった方もおられます。家は幸い残っているという方もおられますが、3.11以来住んでいませんので、家はあるという言っても、カビだらけで庭の草は背丈にも伸び、このままさらに放っておいたら、いよいよ住める状態ではなくなってしまいます。福島県は宮城、岩手と違って、解決のめどがたっていませんから、明日が見えないのです。希望を持つことができないのです...。「いったいいつまでこんな生活が続くのか...。」