見てくれている人がいる

 カトリック仙台司教区の宮城県大会において、「おばあちゃんたちと歩んだ大震災」を題して神田裕神父様のご講演がありました。神田神父様は現在大阪大司教区事務局長の要職にありますが、1995年1月17日の阪神淡路大震災を経験され、その復興のためにずっと尽力されてきた神父様です。

 トレードマークの首に巻いたタオル。これはいつも外しません。師によれば、労働者の姿を示すこのタオルは司祭にとってのストラ、ご住職にとっての輪袈裟に匹敵するものと考えておられるとのことです。というのは...
 阪神淡路大震災が起こってもう1年が経とうとするクリスマスの頃、大分の見知らぬ方から小包が送られてきました。開けてみると「名入タオル」が入っていました。手紙が添えられ、そこには「初めまして。あなた様は私を知らないでしょうけど、私はあなたをテレビ等でよく見ています。いつも首にタオルを巻いておられますが、それ、洗ってますか?」ということで、タオルが送られてきた訳です。
 どんなに大きな事件でも、時が経てば、第3者はその出来事を心から消していきます。ボランティアの方も疲れてきて、もう十分に手伝ったからこの辺で手を引こうと考えるようになる時期です。しかし、被災者にとってはまだまだ元の生活を取り戻すことができずにいるのです。復興のためにひたすら奉仕している自分のことも忘れられていきます。すると自分の心にもある種の迷いのようなものが生じてくることもあります。そんな中、「私はいつもテレビであなた様をみています。いつも首にタオルを巻いていますが、それ、洗ってますか?」と言ってこられる方があったのです。私を見守り続けてくれている人がいたのです。これはとても嬉しいことでした。とても小さな贈り物でした。しかし、忘れられない大きな出来事でした。そして、それ以降、神父様は元気を頂き、ますますこのタオルは外す訳にはいかなくなってしまったのです。

 神田神父様によれば、震災後、4,5か月経つと、ボランティアの人々も不安を覚えるようになってくるそうです。「何しに来たんだろう?」と。避難者も不安が増大してくる時期にさしかかります。被災直後は、皆同じ経験をしたとのことから、この不幸は自分だけじゃない、と思うことができ、不安や恐れを皆と共有することができました。しかし、二本松では、仮設住宅(11か所に1,067戸)も完成し、次第に入居者も多くなってきましたが、今後の生活は一人一人が大きく違ってきます。そうなると、不安は自分一人で抱え込むようになってきます。新たな「心のケア」が必要とされてくるのです。私たちはそうした人々を「心に留め、見続け声を掛けていく」必要があると思います。