『小さい者とともに』ジャン・バニエ(6)

『ラルシュのこころ』 ―小さい者とともに、神に生かされる日々―
                               ジャン・バニエ(Jean Vanier)
【第四章 わたしたちとともに歩まれる神への信頼】
 ラファエルとフィリップを迎えたとき、私は、はっきりとした計画も、考えもありませんでした。知的ハンディで苦しんでいる人のことを何も知りませんでしたが、入所施設における彼らの苦しみに心を動かされたのです。私は福音とイエスの名のために、彼らがさらに人間的に、キリスト教的に生きる方法を見つけることができるよう手伝いたかったのです。ラルシュのコミュニティーをつくるなどという考えは何一つもっていませんでした。日々、ラファエルとフィリップが何を必要としているのか、コミュニティーがどのようにあるべきかを見いだしていきました。創立者として私より無能な人を見つけるのは難しいと思います。トマ・フィリップ神父が、いつもアドバイスしてくれ、支えてくれました。私は純朴でした。でも忍耐強かったと思います。神の働きにたいして注意深くあろうと努めました。それは、私が神から招かれているとしても、それがどのようなものなのか分からなかったからです。
 私の役割は日々起こることを心から迎え入れ、導かれるままになることでした。もし私が自分の計画を持っていたのなら、神の計画を受け入れるのにあまり相応しくなかったと言えると思います。
 人は、金銭や組織が十分になると、コミュニティーは危機にさらされます。神をあまり必要とせず、自分だけで足りてしまうと思い込んでしまうからです。生活は楽になり、熱意はうすれ、妨げになるものは簡単に取り除かれてしまいます。皆、他者に心を向けなくなり、各人は、自分のことばかり考えるようになってしまうものです。
 今日、ラルシュのコミュニティーの多くは、維持するために経済的に困っていません。しかしラルシュは、アシスタントが足りません。それで、ラルシュで生きようとするのではなく、給料を得るためにやってくる人を雇いたいとの誘惑が起こります。この誘惑は大きなものです。今日、アシスタントが足りない事は、本当の姿を思い出させてくれるために、必要なことだと思うようになりました。これが私たちを困らせ、疲れさせてしまうのですが、同時に、私たちをいやおう無しに開かれるものに導いてくれます。
 経済的に困ったり、特にアシスタントが足りない場合、そのことが私たちを不安定さの中に置き、結果的に守ってくれるのです。このようにして、私たちが他者や、神に開かれるよう導いてくれます。神の助けを絶えず願って行くようにさせてくれるのです。
 私たちは安定したいと、強く望んでいます。しかし、決してそのようには行きません。生き残るためには、愛と信仰の質が問われるだけでなく、神への依存をたすける貧しさが必要です。
 「心の貧しい人は祝されますよう、神の国はその人たちのものである。」