召命の集い…の問題

 今日はミサ。「主の洗礼」。参加者、女性12名、男性3名。
 1/6-8まで会津にある雪の聖母修道院で仙台教区主催の「召命の集い」があり、二本松教会からも1名参加しました。彼の報告によれば、修道院での祈り、たくさんのご馳走、アルツの温泉、とお楽しみがいっぱいだったそうで、恵みを頂いた、行って良かったと喜んで帰ってきました。お世話をして下さった神父様方、シスター方ありがとうございました。
 でも、参加者は彼を含め5名だったそうです。仙台教区の教会数は青森県13、岩手県16、宮城県19、福島県15、合計63(内巡回教会は10)あります。これだけの教会があって、参加者5名というのは...仙台教区の集まりで問題点を話し合うと、いつも建物としての教会の老朽化のことが上がります。しかし、仙台教区の問題点は信仰者の集まりであるエクレジア(教会)にあることがこの現象をみても分かります。
 立派な教会ならヨーロッパにたくさんあり、世界遺産に指定されている教会もたくさんあります。しかし、その立派な教会で祈る人は少ないのです。観光客のための教会になってしまっています。教会の本来の役割りはどうなってしまったのでしょうか。
 「教会」とは「信仰者の集まり」であることを思い出して下さい。アシジの聖フランシスコが主から「私の教会を建て直しなさい!」と言われたのは建物ではなく、人々の信仰を建て直すことでした。今、まさに仙台教区には聖フランシスコに働きかけた聖霊が必要です。聖霊よ、来て下さい!
 仙台教区の皆さん、これを機にもっと召命問題を考えていきましょう。そのためにはまず自分自身の「信仰」のあり方を考え直してみましょう!