『キリストにならう』3

「私に従う人は闇の中を歩かない」(ヨハネ8:12)と主は言われる。これはキリストのみことばである。もし私たちがまことの光に照らされ、心の暗やみを抜け出したいなら、その生涯とおこないにならわなければならない。したがって、私たちの第一の務めは、イエス・キリストの生活を黙想することにある。
キリストの教えは、聖人たちのすべての教えに優る。その教えの精神をくみ取ることができる者は、そこに「隠れたマンナ」(黙示録2:17)を見いだすだろう。ところが、多くの人は、しばしば福音のみことばを聞いていも、それほど心に響かない。それは、キリストの精神から遠ざかっているからである。キリストのみことばを十分理解して、それを味わおうとする人は、自分の全生涯を、キリストに一致させるように努めなければならない。
あなたに謙遜の心がなく、そのため三位一体に喜ばれないなら、三位一体について議論したところで何の益になるであろう?人を聖なる者、正しい者とするのは、深遠な言葉ではなく、徳に満ちた生活であって、それが神の愛を呼ぶのである。私は痛悔の定義を知るよりも、むしろその心を感じたい。もしあなたが、全聖書と全哲学説を知ったとしても、神への愛と神の恵みとをもたなければ、それが何になるであろう?神を愛し、神の奉仕する以外は、「空しいことの空しさ、すべては空しい」(コヘレト2:1)。世間を軽んじて天の国に向かうことこそ、最高の知恵である。
(第1巻第1章1-3)