聖書週間:レクチオ・ディヴィナ3

『レクチオ・ディヴィナ(Lectio Divina)』の四つの階段+一階段
1.レクチオ(Lectio):読む
・注意して読むこと
「み言葉それ自身が語ること」に傾聴します。神はご自身を聖書の中に現しました。何よりもまずその語られたみ言葉に注目します。「読む時には、自分の友人の言葉を聴くことが唯一の関心事であるように臨むべきである。」
・知性を使って読むこと
「霊で祈り、理性でも祈ることにしましょう。」(Ⅰコリ14:15)み言葉(聖書)の研究は文学的、歴史的、神学的な方面からもなされていますので、総合的に知的に理解することも必要です。
・心で読むこと
愛は知識への最も有効な手段です。すべての人が神の言葉を聴くようにと呼ばれています。だから、全ての人はたとえ充分な教育がなくても、レクチオとかかわりを持つことができるのです。「あなたがたの書く力が充分でなくても、神はあなたがたを導くために仲介して下さいます。」
2.メディタチオ(Meditatio):黙想する
レクチオが一般的な説明だとすれば、メディタチオは完全に個人的な活動です。レクチオからメッセージを受け取って、自分自身に向けられたものとしていくのです。このみ言葉は、私にとってどういうものだったのかを黙想します。メディタチオの真の意味するところは、自分自身がみ言葉と一体となることです。レクチオは、この聖句は何を語っているのか、という疑問に答えます。メディタチオは、この聖句は私たち(共同体)に、そして私に何を語っているのか、という疑問に答えます。
聖書は人に語り、しかも人間の心、心配事、苦しみ、切望、願望など、もっとも重要な部分を語っている。誰でも聖書の中に自分自身を読み取るのである。
3.オラチオ(Oratio):祈る
神は、私たちに語りかけました。今、私たちは神に何かを応えなければならないのです。神に応答するのは、み言葉に触れた心です。その心は次のことを伴います。
・償い:み言葉の光は目もくらやむほどにまばゆく、私の人生を照らす。私は自分自身が見えた。そして私は自分は罪人であることを知った。私に話かけてくださった方への最初の応答は、「神様、罪人の私を憐れんで下さい。」である。
・感謝を捧げる:神の言葉に対して私たちは常に応答する。「アーメン。神に感謝。主に栄光!」と。不思議に思ったり、驚きを感じるのは、人の成熟が頂点に達した時である。私たちは感謝で報いなければならない。
聖霊を願う:「聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いたのは主であった。」(ルカ24:45)「聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、私が話したことをことごとく思い起こさせてくださる。」(ヨハ14:26)古代からの祈り「聖霊、私たちの心に来てください。信じる人の心を満たし、あなたの愛の火をつけてください」
4.コンテンプラチオ(Contemplatio):観想する
コンテンプラチオとは、永遠の甘美なる喜びを味わいながら、霊魂をさらに上に上げていく、神に向かう、いわば霊魂の昇華である。「人が霊的になる」ことへと導きます。「お言葉どおり、この身になりますように」と言ったマリアのように、信じる人は誰でもそのようになることを信じる時、観想の意味を充分に理解することができます。
これまでの段階で、人が生きたみ言葉となる状態にまで高められます。聖書は読み手とともに成長し、み言葉は読み手の体験となってきます。
5.コミュニカチオ(Communicatio):交わる
神の言葉は共に生きるべきものです。共同体は神の言葉を中心に生まれ成長していくものです。信仰は、他者に伝えられる時に強められます。コミュニカチオとは、「あなたがたもわたしたちとの交わりを持つようになるためです。」(Ⅰヨハ1:3)