聖書週間:レクチオ・ディヴィナ2

 『レクチオ・ディヴィナ』ジョヴァンニ・デュットー著 柳沼千賀子訳 夢窓庵 2009年 より抜粋をご紹介します。
・人の生き方は、神の言葉に従うかどうかにかかっています。(申命記30:16参照)
・私たちは祈る時によく聖書を使うという理由だけで、み言葉によって祈っていると考えるべきでもありません。
・生きるためにみ言葉を祈るのです。
・み言葉を呼吸することなしに、人はいったいどのようにその霊的生活を営んでいくことができるのでしょうか。(聖クリゾストモ)
・神のみ言葉によって生きるということは、私たちを導くのは主であり、主は私たちに何が必要なのかを知っておられることを認めることを意味している。(マルティー枢機卿
・聖書自体は私たちの「救いの歴史」の物語です。そこにおいて神は、ご自分の愛の共同体の中で自らの生活を通して参与するために人となられました。
・聖書に真にかかわっていくためには、信仰が不可欠となります。
・信仰は神からの贈り物です。なぜなら、啓示の主人公は神だからです。
・聖書は、私たちが信じるだけでなく永遠の命を得るように、そして、その中で見て愛し、そしてまた、私たちの望みのすべてが成就するようにと、永遠の命の言葉が記された書物なのです。(聖ボナベントゥラ)
 
 レクチオ・ディヴィナの方法はすでに2世紀に誕生していましたが、今日のように体系化されたのはカルトゥジオ会のグイゴ2世(1188没)のお陰です。
 グイゴははしごを使って手作業をしていた時に、主に尋ねました。自分が主のところに効果的に近づいていけるはしごのような道具を示してください、と。その晩、彼は友人に大変なことを見つけたと書いています。
 「ある日のこと、手作業をしながら霊的修練について考えていると、ふと、読む、黙想する、祈る、観想する、という四つの霊的段階が心に浮かびました。」