ニューマンの聖フィリポ・ネリ

 ニューマンはオラトリオ会の創立者聖フィリポに憧れと尊敬を込めてこのように語っています。
 「聖フィリポは人々を自分の所に引き寄せようと特に努力した訳ではない。ただ自分の小さな部屋に座っていると、金持ちも貧しい人も、貴族も無学な人もいろいろな人が彼を訪ねてきて、暑い日も凍てつく日も彼らを癒し続けた。その姿は幼子イエスを礼拝にやってきた博士たちが見たヴィジョンと同じである。」
 清く汚れなく、甘美で神々しいイエスの姿、母マリアへの忠実で親愛に満ちた思いに溢れているイエスの姿にニューマンは聖フィリポの姿を重ね合わせています。
 ある伝記作家は「聖フィリポは全ての人にとって全てとなった」と言います。貴族にも身分の低い人にも、若者にも年寄りにも、一般市民にも高位聖職者にも学者にも無学な人にも、彼は自分を合わせることができたのです。初対面の人に対しても並はずれた慈愛で接し、まるで長い間会うことを待っていたかのような愛でその人を包み込みました。楽しさが期待されている場では楽しく振舞いました。共感が求められる場では平等にそうしました。全ての人を同じように歓迎しました。人々の中には毎日彼の元へ通う人もあれば、30年40年と訪れ続けた人もいます。人々が朝も晩もひっきりなしに訪れるので、やがてその家は「キリスト者の喜びの家」と呼ばれるようになります。イタリア国内のみならず、フランス、スペインからもやってきました。さらには、キリスト者のみならず、異教徒やユダヤ人も彼を聖なる人と尊敬してやってくるようになりました。枢機卿大司教、司教たちも彼とは親しい友でした。ヴェローナ並びにボローニャ枢機卿は聖フィリポを記念して彼の本を著しています。教皇ピオ4世は彼の腕の中で帰天しました。法律家も画家も音楽家も同様でした。バロニウス、ザザーラ、リッチらは、聖性の香りのうちに死にたいと願ってオラトリオ会に入会しました。偉大な作曲家パレストリーナは彼の指導を受けました。礼拝堂の音楽長アムニッチャは生涯彼に寄りすがっていました。
 このような聖フィリポをニューマンは、彼には神の力が宿っており、何も持たず、ただ謙遜と愛だけで「ローマの使徒」と呼ばれるまでの栄光に達したと讃えています。
 ニューマンは聖性の探求において聖フィリポを具体的なモデルとして見ていました。ニューマンは、聖フィリポについてこのような賛美の詩を書いています。

"St.Philip in himself" The Oratory 1850
人から隠れた聖なる隠修士、私は彼らを愛す...。
ドミニコ会士もフランシスコ会士もイエズス会士もすばらしい...。
だが、そんな彼らよりももっと私の心を奪う人がいる。
それは柔和な顔をした一人の老人。
私は彼を心から愛する。もっともっと彼を讃えたい。
頭に白髪を頂き、いつも笑みをたたえ、目は情熱的。
言葉は語る程に燃え立つが、時折恍惚とする。
彼が両手を上げて祈ると、純潔が香り立つ。
彼は今、心が凍てついてしまった北国へとやってくる。
恵みの説教を携えて、
甘い音楽のような面持ちと、限りない優しさに満ちた低いトーンで、
家柄はよいが頑固な人々の心を溶かすために彼はやってくる。
おお、聖フィリッポ、親愛なる父よ、
あなたの小さな群れを見守って下さい。
あなたの甘美さを私たちはここで倣い、
永遠の神の国でそれを見るでしょう。