ニューマンの苦悩『信徒に聞く』

 ニューマン(1801-1890)は、死後約70年して開かれた第二バチカン公会議で彼の教会理解が取り上げられ、改革に大きな影響を与えましたが、生前はその考えが理解されず苦しみました。その一つが教会における「信徒」の立場に対する考え方でした。ニューマンの書いた論文『教義に関して信徒に聞く』“On Consulting the faithful in Matters of Doctrine”は長い間、禁書となりました。そのあたりの状況は岡村氏の著書に詳しいので紹介します。 
「信徒に聞く」岡村祥子著
『時の流れを超えて J.H.ニューマンを学ぶ』日本ニューマン協会編著 教友社 2006年
 より抜粋
 公会議と深い関わりをもっていたジャン・ギトンの言葉はニューマンの現代性について、多くを語っている。「1968年の聖霊降臨祭にニューマン大会が開かれたが、パウロ六世は同大会にあてて次のような祝電を送った。『ニューマンは明晰な直観とキリスト教の信仰を同時代の人々に近づきやすいものにしたいという熱望とによって天才的先駆者たることを示したし、その考えは今日の教会に貴重な光明を投じている。』ニューマンは多くの点で信徒団、聖伝と聖書との関係、有機的な司祭職、神秘的な教会などに関する思想などで公会議に現存している。公会議の思想はニューマン的だとさえ言いうる。なぜならニューマンは、教会がその時代に同化するため適応を新たにするために絶えず改革されるべきだと考えていたからである。この後教会はもっとニューマン的になるにちがいない。なぜなら公会議の教会、公会議前の教会、およびすべての時代の教会の深い同一性を意識しなければならないからである。」
 また、ニューマンの研究者として優れたデセインは「第二バチカン公会議で、聖職者主義、過度な中央集権主義、忍び寄る不可謬性、峡溢で歴史性のない神学や誇張されたマリア神学は投げ捨てられ、ニューマンの主張していた事柄が前面に出てきた。すなわち、自由、良心の優位、共同体としての教会、聖書と教父たちに戻ること、信徒の適切な地位、一致への働きかけ、時代の必要性に合う努力、現代社会に教会が生きることである。現代の教会のいかなる混乱や無秩序もこの刷新がどれほど必要であるかの尺度といえる」と述べている。
 ニューマンの現代への影響の内容はいくつかあるが、その中のひとつ、信徒について彼の現代的な考えをここで取り上げたい。ニューマンが示した信徒についての考えは当時の教会当局者を怒らせ、公にものが言えなくなるような状況をもたらし、長い沈黙の日々が続く結果となった。
 英国国教会の司祭として、オクスフォードで十数年過ごしていたとき、学識ある信徒も高く評価され、ともに教会を担っていく勢力として認められていた。
 カトリック教会で信徒の地位が低いことを知識として知っていたであろうが、彼はカトリックになったときにその現実を思い知らされる。...聖職者のみが教える立場に立ち、信徒が受身のままではカトリック教会に未来はないと感じるほどであった。
 ニューマンが「教義に関して信徒に聞く」という問題の論文を掲載した雑誌『ランブラー』誌は、疑惑と不信の目で迎えられ、細かい所まで批判の対象となった。そのひとつが編集後記の一文であった。「最近の『無原罪の御宿り』の教義の例にありますように、もし教義決定の準備段階においてさえ、信徒に聞かれるとすれば...」という箇所に批判が向けられた。
 ニューマンはこれまで、カトリック教会の閉鎖性や信徒に対する聖職者の高圧的な態度を我慢していたが、彼にとって教会は聖職者と信徒から成り立っているという考え、信徒を抜きにして教会は存立しえないという確信をもっていた。...信徒の立場を守る論文を公表する。彼がこの行為にでればカトリック教会での立場がなくなることは必至であったが、それにもかかわらず公表した。...この出版によって彼は徹底的に糾弾され、教会から全く信頼を失ってしまった。
 ニューマンがカトリック教会に移ってから取り組み続けた信徒の問題は、第二バチカン公会議で実を結ぶことになる。