ニューマン『心が心に語りかける』


ニューマンが住んでいたバーミンガムのオラトリオ会

オラトリオ会内の図書館、ニューマンの著作が納められている。

オラトリオ会内のニューマンの部屋

ニューマンの部屋の中の小聖堂、正面は聖フランシスコサレジオの絵、右脇の壁には友人らの写真が貼ってある。
ニューマン枢機卿様の列福おめでとうございます!!
英国国教会カトリック教会との和解はニューマンの悲願でした。そのニューマンの祈りは聞かれ、今日実現しました。英国と英国国教会とがローマ教皇様を公式にイギリスへ招聘なさり、ニューマンの列福式が執り行われたことは、キリスト教史上に残る日として記念されることになるでしょう。
 教皇様ご訪問のイギリスにおいて、ニューマンが枢機卿に選ばれた時の標語「心が心に語りかける」"Cor ad cor Liquitur"(ラテン語)="Heart speaks unto heart"が、教皇様が座しておられる椅子を初めとし、随所に書かれているのが感動的です!
(こちらをご覧下さい→http://www.thepapalvisit.org.uk/webcast
 ニューマンは44歳で英国国教会からカトリックに転会してからというものずっと苦しみ続けました。しかし、78才でレオ13世によって枢機卿に任命され、それはカトリックの中枢として認められたことを意味しますから、ニューマンの喜びも大きかったと思います。司祭からいきなり枢機卿に選ばれましたので、まず順序として司教に叙階され、そして枢機卿叙階ということになります。枢機卿になられた時にニューマンが選んだ標語が『心が心に語りかける』でした。
 23歳で英国国教会の司祭になって以来、彼の説教は「心から心へ語りかける」ものとしてすでに人々の心を捉え、名声を博していました。1824年6月13日にカトリックでいうところの助祭になった翌日の日記にこのように記しています。「主よ、私はもうあなたのものです。...私は私の死の日まで、私に与えられた人々の魂に責任を持ちます。」この若き日の決心は生涯貫かれることになります。
 この標語の由来は実はニューマン自身も忘れてしまっていて根拠ははっきりしないのですが、すでに1855年の『大学の理念』の中に見いだされます。ダブリンでの「大学説教」という講義において説教について「古代教父たちは、子どもたちの良い父親のように、心から心へと語った...。」と聖フランシスコサレジオの言葉を引用して語っています。聖アウグスチヌスも同様の言葉を語っているとも述べ、ニューマンは常にそれを念頭においていたことが分かっています。
 ニューマンはカトリックにおいて自分の考えが危険視され、論文が禁書扱いになっても命令に従い沈黙を守りました。しかしそれでもなお、有識者として意見を求められることも多々あり、その度に発言が問題視される、ということの繰り返しでした。自説を曲げないにしても、教会に「聖性」を取り戻さなければならないという思いも一方で強くありましたので、戦うような姿勢はとりませんでした。教会に従順したのでした。すべての聖人に共通していることは「祈りの人」だということだと思いますが、ニューマンもまさに祈りの人であり、孤立する彼を支えたのはご聖体と祈りでした。

 ニューマンの説教の魅力については、このように語られています。
「午後の淡い光のなか、聖マリア教会の側廊をすべるように進み、説教壇にのぼるや、他に比べようもない魅惑的な声で静けさを破り、宗教的な音楽そのものである霊妙、甘美、哀愁の言葉で、彼の思いを語り始める、その霊的な幻の魅力に、いったい誰が抵抗できただろうか。感受性の強い青春の日に、あのような声を聞く人は幸いである。それが生涯の財産になるからだ。」...1830年代のオクスフォード大学でニューマンの説教が若い学生たちに与えた影響を、これほど鮮やかに伝えているものはほかにない。」
『心が心に語りかける―ニューマン説教選―』日本ニューマン協会訳 サンパウロ 1991年
 序文より抜粋