ニューマン枢機卿列福迫る!

 いよいよニューマン枢機卿列福式が来週9月19日と迫ってきました。教皇様は16日に英国入りなさいます。英国国教会カトリックから分かれて初の正式招聘ですので、キリスト教史上に残る出来事となります!列福されるニューマン枢機卿がこの分かれた二つの教会に対話をもたらすことになったことも特記すべきことでしょう。
 前にもご紹介しましたが、再度ニューマン枢機卿について簡単にご紹介します。

《ジョン・ヘンリー・ニューマン枢機卿

John Henry Cardinal Newman
1801-1890イギリス生。

★第2バチカン公会議に影響を与えた枢機卿
★現代のための聖人
と言われています。

【ニューマンの列福式
・日 :2010年9月19日
・場所:イギリス、バーミンガム教区内
・司式:教皇ベネディクト16世
・承認された奇跡:2001年、アメリカ、マサチューセッツ州のジャック・サリヴァン(60歳、終身助祭)が背骨に問題があり、その辛い痛みがニューマンの取次ぎを願って祈ったところ治ったことが奇跡として認められた。
英国国教会カトリック教会と別れて以来約400年ぶり、初めてのローマ教皇の公式イギリス訪問となる。ニューマンが切に願っていた教会同士の和解がここに実現することもビッグニュースである。
【第2バチカン公会議への功績】
公会議解説叢書の序論で、彼の功績の大きさをこう述べている。
「過去40年間および第2バチカン公会議の教会論に大きな影響を与えた神学者として、ニューマンの名を上げなければならない。ニューマンの洞察は最近の数多くの著作に大きい影響を与えている。」
・19世紀には危険視された彼の思想が、この公会議で取り上げられ、議事録によれば、ニューマンは少なくとも20回も言及された。
・幾人かの司教は、公会議はニューマン会議であったと言う。
・教会のあり方、エキュメニズム、啓示、信徒の立場について議論する時に引き合いに出されたのがニューマンであった。

【ニューマンの生涯】
・若い頃は英国国教会(聖公会)の司祭として、有能且つその説教の魅力で注目を集めていた。
・物心つく頃から英国国教会カトリック教会が分離していることに疑問を抱いて、その両者の教義を照査し始める。
・研究は、教会がキリストの時代から「聖なる、普遍の、使徒的、唯一の教会」に連なっていることを確認するために、古代の3世紀の教義にまで時代を遡り、「正統」と「異端」を調べあげた。
英国国教会を愛していた彼は、その研究の過程で教会の古代性から分離しているのは自分の教会であることに気づき、激しく動揺する。
・その深い悩みをかかえ、さらに「真理」へ到達したいという望みを持って研究を重ねた結果、44歳という生の半ば、人生の円熟期についにカトリックへ転会をする。
・転会はすべての地位、家族、友人たちを捨てることを意味している。愛するものたちとの決別と孤独はただ「真理(神)」に対する信念だけによって支えられていた。
カトリックの司祭となってからも、彼は有識者として神学上の意見を求められたが、英国国教会からは「裏切り者」、カトリック教会からは所詮「よそ者」という目で見られ続けた。
・周囲からの無理解に苦しみながらも、彼は自分の信じるところのものを訴え続けた。しかし、この時代、彼の思想は危険視された。その著書は40巻、書簡集は30巻に上る。
・しかし、ついに78歳の時、教皇レオ13世により「枢機卿」に任命される。これによりニューマンは「私を覆っていた雲は永久に晴れた」と、やっとカトリックの中枢として認められたことに喜びを表した。(司祭から枢機卿に任命された最初の人でもありました。通常は司教から選出されます。)
・ニューマンを枢機卿に選出したレオ13世にとっても、それには批判者が多く、簡単なことではなかった。先見の明ある教皇はこう述べた。「余の決意を支えたのは、ニューマンに栄誉を与えることが必ずやカトリック教会に栄誉を与えるに違いないという希望だった。ニューマンは自分にとって、かねてから尊敬の的だった。余は、このような人物に栄誉を与え得たことを誇らしく思う。」
・レオ13世とニューマンとの出会いが20世紀の新しいカトリック教会を準備することになっていく。