聖人考

 聖人とは、歴史上多くおられても実際に出会ったことがない人々、と思いがちだが、私たちは現代の聖人と出会うことができた。その働き、言葉、表情、息遣いを知っている。ヨハネ・パウロ2世とマザー・テレサはまだ福者の段階だとしても聖人にあげられることは時間の問題だろう。現代にこのような聖人を与えられたことに対して、私たちはどう考えるべきだろうか。
 信者になりたての頃、カテケージスの本を読んでいた時に書かれていた言葉が忘れられない。どの本の誰の言葉だったのかは覚えていない。......「聖人になることは私たちの義務です。」

カトリック中央協議会」のHPより聖人についての説明を載せておきます。 
 聖人とは、生存中にキリストの模範に忠実に従い、その教えを完全に実行した人たちのことであり、神と人々のために、またその信仰を守るためにその命をささげるという殉教もその証明となります。福者の列に加えられた後(列福)、もう一つの奇跡が前提となり、福者と同様な調査と手続きを踏んで教皇が公に聖人の列に加えると宣言し(列聖)、その式(列聖式)はローマの聖ペトロ大聖堂で盛大に執り行われます。教会が聖人として公に認めるということは、天国の栄光の中にいること、全世界の人々がその聖人に取り次ぎを願ってよいこと、崇敬するに値し、世界中の全教会で公にこの聖人の日を祝うことになることを意味します。日本の教会に関係する聖人では、聖フランシスコ・ザビエルをはじめ、日本26聖人殉教者、聖トマス西と15殉教者、聖マキシミリアノ・マリア・コルベ神父がいますが、今でも彼らを崇敬するのは現代社会にあって福音的な生き方の模範になる人だからです。さらには今、神のもとにいる聖人が私たちのために執り成し、やがてはこの世を去る私たちが神のもとで永遠の喜びにあずかるように祈るという「聖徒の交わり」を信じるからこそ、特に日本と深いかかわりのある聖人をこころから慕い、祈り求めるわけです。