聖霊が吹いた説教

 今日のミサは聖霊が吹いた。リゲンザ神父様がいつもよりさらに熱の入った説教で、会衆一同それぞれが心に燃えるものを感じた。
 今日は、神父様を囲んで皆の写真を撮るという連絡をしておいたにもかかわらず、ミサに与ったのは女性7名だけだった。いつもの半分だ。しかし、神父様はそのようなことを意に介されなかった。そのことは非常に嬉しく胸が熱くなった。人数が大勢集まらなければ講習会や勉強会などに応じないという神父様も世の中にはいらっしゃる。しかし、リゲンザ神父様は目の前にいる一人ひとりに向かって熱く語った。
 今日の福音書は『主はほかに72人を任命し…遣わされた。』という12使徒の他に信徒を宣教に遣わしたという話だ。それは他ならぬ私たち自身へのメッセージだ。「宣教は宣教師だけの任務ではない。信徒一人ひとりが宣教の任務を持っている。私たちはみんな心を一つにして頑張りましょう」、と力強く励まされた。「宣教は決して楽ではない。この福音書に書かれている注意事項を心に留め、主を信じて自分の力ではなく主に頼り、『全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい』と主がおっしゃっているのですから、各自の福音の喜びを伝えていきましょう。そして、『あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。』このことを忘れないように。」と私たちがともすれば忘れがちな信仰の本当の喜びはどこにあるのかも教えて下さった。
 説教の間、私たち7名はあたかも主に選ばれた先鋭の宣教師かのような気持ちにすらなった。リゲンザ神父様の説教はそれほどに迫力があった。ミサの後、各々感動を口にした。聖霊が吹いた、と誰もが同様に感じた。いつもは、ミサの後の話題といったら説教の内容とは別の四方山話になってしまっていたが、今日は違った。皆、それぞれの信仰を見直し、信仰を新たにした。帰り際、リゲンザ神父様は「私はあなたたちの主任司祭ですから、それを忘れないように」と言われた。ともすれば二本松教会はいつも二の次扱いをされているかのように実は感じていたのだが、この言葉は嬉しかった。もっと神父様に甘えていいというお墨付きを頂いたのだ。
 そして、今準備中のマザーテレサ写真展もどうすれば多くの人に来て頂けるか、それぞれが真剣に取り組み出した。

 庭の整備が終わり、随分さっぱりした。延び延びになっていた桜の苗木の移植も今日やっと終了した。菊地さん寄付の桃も先に移植した。これは1本の木にピンクと赤の2色の花をつける珍しい桃の木だ。桜は大きくなることを考えて枝垂れ桜を一本だけ植えることした。そして、これは「宣教桜と名づけよう」、と冗談半分、本気半分で橋本さんに言うと、橋本さんは真顔で「そうだね」と返事をした。