牧師さんとの対話

 マザー・テレサの写真展の応援を頂きたいと思って、市内のプロテスタントの教会を訪ねた。二本松市は人口6万人の町だが、プロテスタントの教会は3件もある。
 いずれの牧師さんも公的に教会としての支援はできないが、私的には協力したいとおっしゃって下さった。プロテスタントの教会員の中には頑なに他教会を拒む方もあるので、そういう方を考慮して教会としての協力は難しいとの説明だった。しかし、牧師さんはどの方も好意的に対応して下さったのは嬉しかった。 
 一人の牧師さんはマザー・テレサのところに2週間滞在なさったことがあると話して下さった。別の牧師さんは、大阪の教会で私たちも同じようにマザー・テレサの写真展をしましたよと教えて下さった。そして、さらに献金という形で協力しますとおっしゃって下さった。嬉しいことだ。
 もう一人の牧師さんとは、信仰のよもやま話で花を咲かせた。その教会は単立教会で信者さんは20名ぐらいだそうだが、10分の1献金をするプロテスタントの教会はその人数でも教会を立てることができるのだ。全体が白でまとめられた明るく素敵な教会だ。牧師さんは神戸のご出身とのことだ。そのような都会からよくぞこのような東北の田舎町に伝道に来て生涯を捧げて下さっていると驚き、そして頭が下がった。先の牧師さんも大阪出身で、奥様は東京のご出身で、もう30年以上も二本松で伝道しておられる。もう一人の方は二本松出身の女性牧師さんだ。
 牧師さんは、これからの信仰は東北で栄えると熱く語られた。ともすれば折れそうになる私の二本松での宣教熱も、その牧師さんの熱意で再び燃え上がった。そして、信仰の正統性を保持することの大切さで意見が一致して意気投合した。教会が世の流れに迎合して聖性を失ってしまえば、どこに聖性を求めることができるだろうか。「道であり真理であり命である」生き方を見出すためには、世間とは一線を画す部分があってもしかるべきだろう。牧師さんはプロテスタントらしく聖書を読むことを大切にしているとおっしゃた。
 お互い小さな教会同士、仲良く交流することができないかと思ったが、いずれの牧師さんもやはり個人的にはできるが、教会としては難しいということだった。信者の奪い合いや教義論争などになったりするとややこしいから、やはりお互いの領域は守っておく方がよいということなのだろう。