聖体奉仕(5)

 今日は、安田さんの所ともう一つの「あだたら」という介護施設に入所されている渡辺さん(女性)の所へ行ってきた。渡辺さんのところへいつも行って下さる方が都合が悪いということで私が代わりに行った。
 「あだたら」は「やまびこ苑」よりは若干お元気な方が入所されているようだ。入り口を入るとすぐ、出会う方全てが挨拶して下さる。渡辺さんのお部屋番号を聞いてそこへ向かう途中も、介護士さんはもとより入所されている方からも挨拶される。さらにお部屋はどこかときょろきょろしていると、「だれを探しているの?」と声をかけて下さる方がある。介護士さんではなく、入所されている方だ。「渡辺さんのお部屋を探しているんです。」と答えると教えて下さった。「やまびこ苑」と同じように4人部屋だ。中に入っていくと4つのベッドのうち、いらっしゃるのはお一人だけで、失礼ながら寝てらっしゃるその方の顔を覗き込んで確認させて頂いたが渡辺さんではなかった。部屋を出て探すとすぐに姿が見えた。歩行器につかまって歩いておられた。以前にも信徒副会長さんと一緒にお伺いしたことがあるのだが、渡辺さんは私をお忘れになっていたというより、むしろ私の印象が薄く覚えておられなかったのだと思う。「渡辺さん、こんにちは。」と声をかけると、驚いて誰だろうといった表情で私の顔をじっとご覧になった。「二本松教会の柳沼です。ご聖体をお持ちしました。」と言うと安心した表情になった。渡辺さんは葉書を手にしておられ、それをサービスステーションに出すところだった。私が「お願いしまーす。」と声をかけると仕事中の係りの方がこちらに来て受け取って下さった。そして、歩行器でゆっくりと歩く渡辺さんに歩調を合わせて部屋まで一緒に向かった。その途中もみんなが声を掛けてくる。活気がある。
 部屋のベッドに腰掛けるとまず、渡辺さんは紙とペンを取り出した。これまで渡辺さんは一言も声を発していない。目と手ぶりで私に合図する。話すことができないのではなく、弱って声を発することができないだけなのだ。今年85歳になられるが、目はしっかりしておられ、安田さん同様身体の力が弱っておられるだけだ。渡辺さんはまず、私の名前をお聞きになるので、その紙に書いた。その紙とは実は送られてきた手紙の封筒で、私はメモ帳を用意してなかったことを後悔した。渡辺さんのベッドの枕元にはたくさんのお手紙がある。手紙でお友達との交流があることを伺わせる。安田さんと違って孤独感はない。また、その手紙に混じって祈りの本も何冊か重なっていた。安田さんのベッドサイドにある本も祈りの本だった。その祈りの本が、私たちに埋めることのできない心の欠けの部分を埋めてくれることを私も祈らずにはいられない。
 ご聖体拝領が終わると、渡辺さんは筆談で私のことをいろいろと尋ねられた。その字が実になめらかで流れるように美しい筆跡なのだ。鉛筆を筆のように扱う。昔の方は概して達筆の方が多い。私は自分の筆跡に劣等感を持っているので、このような字を見ると、思わず感じ入ってしまう。若い世代でこのような字を書く人は滅多にいない。いつからそのようになってしまったのだろうか。
 失礼する前に、祈りの本などを読まれているなら、たぶん大丈夫だろうと思い、「マザー・テレサの祈り」の小冊子をお渡しした。同じものを、安田さんにも差し上げてきた。これは、復活祭のために来て下さった松尾神父様(サレジオ会)が私たちのために持ってきて下さったものだ。幸いまだ数冊残っていて、もらわれ先を待っていた。
 帰ろうとすると、渡辺さんは引き出しを開けて何かを探し出し、新しいタオルを私に下さった。私はそれは渡辺さんに必要なものだと思ったので、心配しないで下さい、大丈夫ですよ、と言ったが、渡辺さんから見れば子どものような私なので(目がそのような目になっている)、これは渡辺さんの親心なのだと思って素直に受け取った。
 一緒に玄関まで来て送って下さった。渡辺さんは手振りでハンドルを回すしぐさをなさるので、はい、車で来ましたと答えて、また来ますと挨拶して別れた。そして、車に戻った私は次に回る場所を調べるため、しばらくナビを操作していた。調べがついて数分後に出発した。すると、何と、渡辺さんは車椅子に乗り換えて、玄関の外で介護士さんと一緒に私を見送るべく待っておられたのだ。ああ、何ということだ。安田さんといい、渡辺さんといい、こうした方々は私たちが思っているのとははるかに違う次元でもっと私たちを思いやって下さっているのだ。守られているのは私の方だった。