聖体奉仕(4)

 二本松教会では、信徒会総会を5月末に行っている。その資料作りのため、今日は信徒副会長さんと最も若い会計さんが教会に来て伝道館で頭を突き合わせて収支決算書等を作成している。その二人を前に、毎日祈りに教会にやってくる84歳の長老さんと私はおしゃべりをしながらお茶を飲んでいる。不謹慎とは思いながらもそれが許される間柄であることを幸せに思う。しかも、お茶を入れて下さったのは私ではなく長老さんの方で、私は恐縮しながらそれに甘えている。この方は謙虚でいつもにこにこ顔、ユーモアもある上にいつもきれいにお化粧をされている。内面も外見も美しい方だ。このように年をとりたいものだと、私はいつもこの長老さんに会うたびに密かに思っている。おしゃべりの合間にふと見ると、副会長さんはそろばんで、会計さんは電卓で懸命に計算をしていることに気づき、それが年代を象徴しているようでおかしかった。さて、お茶も3杯頂いたことだし、安田さんのところに出かけることにしよう。
 施設までは車で10分。安田さんはベッドにごろんと横になって「山菜」の本をごらんになっていた。部屋の入り口からはまず、足だけが先に見えるので、あっ、お休みになっているのかな、体調が悪いのでは、と心配しながら近づいてみるとそうではなく、本をお読みになっておられたのでほっとして声をかけた。すると、安田さんはすぐに身体を起こされ、「どうも、どうも。」と優しい顔で私を迎え入れた。いつものようにご聖体拝領をした後、しばらくおしゃべりした。
 この施設の様子で気づいたことは、入所されている方同士が話をしている姿が見られないことだ。ベッドに寝たきりになっておられる方、みんなの広場で車椅子に座ってテレビを見ている方、リハビリのために運動や手作業等をしている方、こうした方々の間に会話はない。「安田さんはこの中ではお元気な方ですね。」と聞いてみた。すると、「そうなんです。どうしてここに入ってきたのか、と言われることもあるんです。」という答えが返ってきた。安田さんはずっと公務員をされ、定年後はそろばん塾をなさり、今も頭脳は明晰だ。生活に必要なことは施設がやってくれるし、お風呂も毎日入れるし、好きな晩酌も毎晩コップ1杯だけ施設が準備して持ってきてくれるとのことだ。生活上は何不自由なく、ありがたいことです、と安田さんは言う。しかし、話相手がいないのだ。外出も許可されない。誰も住んでいない家がどうなっているのかを見に行きたいと言っても、きっぱりとだめです、と言われてしまうそうだ。付き添いがいれば許可になるが、その付き添いは家族でなければならない。私ではだめなのだ。外にお連れする能力はあっても資格がない。神の家族です、などということはここでは通用しない。何とも歯がゆいことだ。私が娘さんと連絡をとることも許されない。人をだます犯罪が増え過ぎて、このような社会制度になってしまった。しかし、これを打破する最後にして最強の手段「祈り」が私たちにはある。
 安田さんの強い望みはミサに行くことだ。9日のミサは流れてしまったが、ミサの話になると、目を大きく開き力強く「行きたいです。」とおっしゃる。その言葉にもはや遠慮はない。そして、「3時ですね、3時からですね」と何度も繰り返す。この安田さんの思いが娘さんに届きますように。憐れみ深い神様が安田さんのこの切なる願いをどうかかなえて下さいますように。そのように、教会に戻ってから熱祷を捧げた。