聖体奉仕(3)

 安田さんは97歳だった。以前に95歳になられたというようなことを小耳に挟んだことがあったような気がしていたが、定かではなかったので、今回伺ってみた。そうしたら、そのような答えが返ってきた。驚きというより感動を覚えた。新聞やテレビで100歳の方を知ることはあっても、実は私は思えばこのような高齢者の方と親しく関わることは初めてなのだ。97歳になるということはどういうことなのか、と一生懸命に考えてみたが、経験のないことはやはり想像の域を出るものではない。とにかく、思うことは、一人にしてはいけないということだ。今の二本松教会があるのは、安田さんが長年信徒会長として教会を守って来て下さったお陰でもある。「教会」とは、建物以前に「信仰者の集まり」であることを忘れてはいけない。安田さんが二本松教会という場に来られなければ、こちらから安田さんの所へ行けばよい。そこが教会だ。
 今日は、信徒副会長さんと一緒にご聖体を持って訪ねた。実は今までずっと、安田さんの所へご聖体を運んで下さっていたのは副会長さんだったので、彼女は安田さんの状況がよくお分かりだ。「聖体奉仕者による病者の聖体拝領」の式次第を安田さんと一緒に見れば、安田さんはご自分の箇所を唱えることができる、ということだった。私は安田さんに対して過保護だった。私一人が唱えてしまい、安田さんに何もして頂かなかった。またも反省。今回、安田さんは積極的に福音書も朗読して下さった。その息遣いは途切れ途切れだったが、やめようとはなさらなかった。背中を丸めて懸命に福音の言葉を追う姿は、息は苦しそうだが、張りのあるお声だった。
 聖体拝領後、副会長さんから9日のミサに行きませんか、とお誘いの言葉を掛けて頂いた。すると、安田さんの顔はきらりと輝いて、「ミサですか!ああ、行きたいなぁ。」とやや興奮気味におっしゃった。しかし、そのすぐ後で「でも、体調がどうか...。」と心配なさった。私たちは安堵した。遠慮なさるかと思ったが、やはり、ミサは違う。安田さんにとって希望だ。私たちは、その日迎えに来て、体調が良かったら行きましょう、という約束を交わした。安田さんは忘れないように何度も日にちと時間を繰り返した。
 安田さんにお別れをしてから、施設の係りの方に外出許可の申請を願い出た。すると、前回案内で聞いたこととは違って、責任者の方が対応して下さったのだが、外出するには安田さんの家族の承諾がなければできないということだった。もし何かあった場合問題になるから、ということだ。確かにその通りだ。むしろ前回があまりにも簡単な対応だったので、本当にそれだけでいいのかという疑問が脳裏をよぎっていた。私たちは責任者の方に、自分たちが教会の者で、安田さんも信者なので「礼拝」に連れて行きたいのだということを説明した。すると、その責任者の方は「ミサですね。」と言い換えた。なあんだ、ミサをご存知だった。責任者の方は理解のある親切な方で、東京にいる安田さんの娘さんの承諾が必要なので、今から連絡してみます、と言って電話をしに立ち去って行かれた。しばらくして戻って来られると、返事はこうだった。娘さんは月に1度ぐらいの割合でお父さんのところへ見える。今月は下旬に行きたいと思っているので、ミサにはその時に一緒に行きたいから、9日の予定は延期してほしい、と。それなら、なおすばらしいことだ。娘さんも一緒なら安田さんにとっても私たちにとってもこれほど心強いことはない。後は当日、安田さんの体調が良いことを願うばかりだ。
 私たちはひとまず安心して、施設を後にした。すべては神様のみ心のままに