勉強会(3)―聖フィリポ・ネリ

 今日は集会祭儀。出席者女性8名、男性1名。集会祭儀の後、毎回『司祭の召命を求める祈り』を唱えています。二本松教会には若い男性がいませんが、神と人々に奉仕する司祭の誕生を願って祈り続けています。そして、ミサのある日には『司祭のための祈り』を唱えています。
 この後、勉強会。出席者全員でそのまま勉強会をしました。今日は、ニューマン枢機卿が所属していた「オラトリオ会」の創立者聖フィリポ・ネリについて。
聖フィリポ・ネリ(1515-1595、フィレンツェ生―ローマ没)

・列聖1622年3月12日、聖イグナチオ・ロヨラ聖フランシスコ・ザビエル、アビラの聖テレジアと共に列聖される。
・称号:「喜びの聖人」「ローマのもう一人の使徒」「永遠の都の改革者」「喜びの預言者
・実績カトリック教会が堕落していたこの時代、教会の内部改革に大きな貢献。
・武器:「神の愛の喜び」「ユーモア」
・後世への影響聖フランシスコサレジオ、ピエール・ド・ベリュル枢機卿、ジャン=ジャック・オリエ、聖ヨハネ・ボスコ、ジョン・ヘンリー・ニューマン枢機卿らが聖フィリポ・ネリの影響を受けて活動する。
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《生 涯》
時代背景ルネサンス後期。人間中心の近代文化。人々の教会離れ。カトリック教会の堕落。マルチン・ルター(1483-1546)の改革運動。教会の分裂。カルヴァン(1509-1564)も改革運動。
0〜18歳フィレンツェに役人の父と大工の娘の母の間に生まれる。姉、フィリポ、妹、弟の4人兄弟姉妹。弟が生まれた時にこの弟と母が帰天。父は再婚。継母は愛情あふれる人で、フィリポを愛す。サン・マルコ修道院に出入りし、ドミニコ会士により信仰の土台が作られる。
18〜36歳:単身ローマへ行く。自分の道を探し求め、カタコンベで祈り三昧の日々を過ごす。29歳の時、「神の愛」の強烈な体験をする。これは彼の「ペンテコステ(聖霊降臨)」と呼ばれる。この体験後、地上の大都市ローマの真っ只中で活動を始める。病人への奉仕、聖体礼拝のリーダーなどをする。
36〜60歳:ペルシアノ・ローザ神父との出会いにより、36歳で司祭となる。信徒として生きるつもりだった彼が司祭になることを決心した理由は「ご聖体への愛」。司祭になればミサを捧げることができるからであった。
【活動方針】
★神に従うため、また、力を頂くため「祈り」を大切にすること。
★キリストの「愛」を喜びを持って宣べ伝えること。人は自分の好きな人の言葉には従うものなので、神の言葉を伝えるためにはまず自分自身が人々愛の対象になるよう努力すること。特にユーモアは人の心をとらえるために大事!
★誰でもその人を生かす活躍の場を作ること。
★人々の欲求を肯定して、それを教会活動の中で生かすものに変えていくこと。
★神の恵みである「秘跡」、特に「ゆるしの秘跡」を大切にすること。神のゆるしは神の愛の体験となるから。
★集まった人々の心の一致を大切にすること。神の家族として。
60〜79歳:ネリの共同体「オラトリオ会」が教皇庁から認可。これは「使徒的生活の会」として、結婚はせず会憲の下に教区司祭らが兄弟的共同生活を営む会。活動拠点としてサンタ・マリア・イン・ヴァイリチェラ教会(俗称キエザ・ノーヴァ:新しい教会)が与えられ、ローマの中心で活動、人々を教会に戻すことに貢献していく。オラトリオ会員からは枢機卿や司教なども誕生。
神と人々のために自分を捧げたネリは、生涯を通して貧しい人、病人から高位聖職者、教皇まで信頼され霊的指導者として働き続けた。死後、《司祭の模範》として後世、多くの司祭に影響を与えた。