聖体奉仕(2)

 安田さんのところへご聖体をお持ちした。安田さんの部屋は2階だ。エレベーターを降りると目の前がみんなのいこいの広場風になっている。テレビを見ている人、介護士さんに見守られながらリハビリで輪投げにいそしんでいる人、ベッドで寝たきりの人などの間を軽く会釈をしながら通り抜け、安田さんの部屋を目指して行くと、安田さんは部屋の前の廊下の椅子に腰掛けてまどろんでいらした。何をするでもなく、一日をこのように過ごされているのだろうと、その生活の一部を垣間見た思いがした。「安田さん、安田さん」と声をかけると、目を開いて私の顔を見上げた。私だと分かると、眠そうな目は笑顔に変わった。
 椅子の上にコルポラーレを広げて、十字架を置き、ろうそくに火を点して、一緒に祈り始めた。前回、主の祈りも一緒に唱えることができないのは、90歳を過ぎておられるので忘れてしまわれたのだろうと思っていた私は愚かだった。今日、式文に従って「主の祈りを唱えましょう」と私が言うと、私が唱え出す前に安田さんははっきりと唱え出した。「天にまします我らの父よ、願わくは...」そうだった。口語の主の祈りを安田さんはご存知なかったから一緒に唱えることができなかったのだ。何故そのことに気づかなかったのか。ああ、愚かな私よ。でも、これで安心した。安田さんの信仰は現役だ。
 聖体拝領の後、二本松教会の写真集をお見せした。これは3年前からお祝いの時などに撮った写真をアルバムにしたものだ。二本松教会の「信仰の遺産」を記録として残しておかなければならないと感じて、私はアルバム作成をしている。二本松教会を支え守っている人々の記録だ。小さい教会だからといって閉鎖されては高齢者が困る、教会を必要としている人々がここにいるのだという抵抗の祈りも込めている。
 安田さんは「ああ、懐かしい顔があるなぁ。」と言いながら一枚一枚に目をやっている。復活祭のお祝いをしているみんなの写真が出てきた時には、「ああ、私もここにいたかったなぁ。」とつぶやいた。写真の下に書いたコメントを声に出して読んでは、納得したり、笑ったりしている。私は、あっ、文字も普通にお読みになれるんだ、と知って希望を持った。
 「外出はできるんですか。」と私が聞くと、安田さんは「できますが、でも、だめなんです。私は悪いことばっかりしているので、だめなんです。」と笑いながら意味深なことをおっしゃる。「私が車でお迎えに来たら、外出許可は下りますか。」と尋ねると、安田さんは昔の奥ゆかしく礼儀正しい日本人の代表のような方で、遠慮なさってあいまいな返事しかなさらず、結局いいのかどうかよく分からなかった。
 安田さんはお子さんがなく、養女を引き取って育てられた。奥様は先立たれ、その娘さんも今は東京に住んでおられるため一人になってしまい、こうして介護施設に入られたのだ。
 写真を見終わった後、失礼した。また、安田さんは私が見えなくなるまでずっと佇んで私を見送って下さった。エレベータの前で振り返って、遠くの安田さんに一礼すると安田さんも返礼して下さった。前回と違って、今日は何だか嬉しい気持ちだ。
 1階の案内で安田さんは外出できるのかを聞いてみると、できますよ、と何の問題もない返事が返ってきた。食事の時間にかかる時だけ事前に言ってほしい、とただそれだけだった。よし、ミサがある時にお連れしよう。でも、人に迷惑をかけることを良しとしない方なので、その点が難関だ。次のミサは5月9日なので、それまで対策を考えておこう。