聖体奉仕(1)

 今日は、高齢のため教会に来ることのできない方の所へご聖体を持って行った。
 安田さんはもう90歳を過ぎておられ、要介護の状態になられたため二本松の枡記念病院に付設している「やまびこ苑」という介護保険施設に入所されている。訪ねて行くと、ちょうどお部屋からどこかへ行こうとされるところだったが、私の顔を見ると、喜んで「どうぞ、どうぞ!」とベッドのところまで招いて下さった。やや腰は曲がっておられるが、ご自分の足でゆっくりとお歩きになる。身なりもきちんとし、言葉もしっかりとしておられ、会話にも大きな問題はない。
 安田さんは長年、信徒会長さんを務めておられた教会の長老であり重鎮だ。男性の少ない教会で、心の広い頼りになる方だった。教会に来られなくなって、もう3年ぐらいになる。足が弱って歩くことが次第に難しくなってきた頃、階段や段差のある所を這うようにしてでもミサにはやって来られた。その頃の安田さんはいつも遠慮なさっていつも後ろの端の席を指定席にしておられた。そして、献金は教会にだけでなく、私のような奉仕者にもして下さるのだった。断っても「いいから、いいから」と袋をおいていかれる。せっかくの安田さんの気持ちなので、私はそれを教会のために使うことにした。
 施設の部屋は一般的な病室と同じように1部屋に4人分のベッドが入っている。安田さんのベッドは窓際だ。椅子の上にコルポラーレを広げ、十字架とろうそくを置き、「聖体奉仕者による病者の聖体拝領」を共に祈ってご聖体を拝領していただいた。安田さんがずっと手を合わせて祈っている姿は、教会で祈っていた時のあの姿のままだった。背の高い安田さんは祈る時、背中を丸めて身体を小さくして祈られるのだ。安田さんは何を祈られたのだろうと思った。イエズス様がパンになられたというのは、最も愛する方と一体になれるということにおいて最高のことだ。あの時のイエス様が今ここにおられる。
 聖体拝領が終わって、話をした。安田さんは「かごの鳥です。」と寂しそうに言われた。施設の介護士の方が常に目を離すことなく見て下さっているのは有難い反面、どこかへ行こうとするとすぐに「どこへ行くんですか。」と声が掛かるのだそうだ。今、二本松ではちょうど桜が満開の時期。「部屋の窓から外を眺めていると涙が出てくることがあるんです」と安田さんは遠くに目をやって言った。その目は今はもう何もできなくなってしまった自分を受け止めるしかない現実を見ていた。私は気休めの言葉など言えず、黙ってうなずくしかなかった。気持ちはあっても身体が思うようにならないことへの悲しさが伝わってくる。今の安田さんにとって何が喜びなのだろう。安田さんはずっとそろばん塾をやっておられた。80歳過ぎのお年になるまでそろばんを習いに来る子どもたちがいた。「もう諦めました。」とも言う。励ましの言葉も出ない。私もただ受け止めるしかなかった。90歳の命は重い。
 また来ることを約束して退室しようとすると、安田さんは部屋の出入り口まで一緒に来て下さった。私はここまででいいですよと言ってそこで別れた。そして、廊下を歩いてエレベーターの前まで来て後ろを振り返ると、安田さんは腰の曲がった姿勢を懸命に支えながら別れたその場所にずっとたたずんで私を見送って下さっていた。私は去り、施設に残る安田さんのその姿が目に入った途端、胸が締めつけられる思いがした。私は黙って頭を下げた。
 帰り道、安田さんのために何ができるかを考え続けた。