信徒の宣教(2)―竪琴(ハープ)

 ダビデが竪琴の名手であったことがサムエル記に記されています。王のサウルは、最初は神から選ばれ王となったのですが、数々の戦いで勝利を治め続けると次第に神を忘れ、主に背くようになっていきます。ついに「わたしはサウルを王に立てたことを悔やむ。」(Ⅰサム15:11)と、主の霊はサウルを離れ、主から来る悪霊がサウルをさいなむようになります。悪霊に苦しむサウル王に、忠実な家臣は「竪琴が王様の御気分を良くするでしょう。」(Ⅰサム16:16)と勧めます。そして、捜して連れて来られたのが竪琴の名手のダビデでした。「神の霊がサウルを襲うたびに、ダビデが傍らで竪琴を奏でると、サウルは心が安まって気分が良くなり、悪霊は彼を離れた。」(Ⅰサム16:23)と聖書は記しています。
 私はあろうことか、この竪琴によって心が安まって気分がよくなった、という箇所に心が留まってしまい、何と分不相応にもダビデのような竪琴弾きになりたいと、ある日突然思ってしまったのです。
 そのような妄想を抱いた私が竪琴(アイリッシュ・ハープ)を習いに行ったのは3年前でした。仕事の忙しさで中断したものの、再び福島市にハープの先生を見つけ、練習を再開して、今日からまた習いに通い始めました。曲は言わずもがな「King David and his Harp」(ダビデ王と竪琴)を選びました。先生にこの曲の意味を説明すると、先生は「ああ、知ってます、知ってます!」とダビデの名もサウル王もご存知でした。そして、イエズス様がこのダビデの子孫としてお生まれになったことも。やはり、西洋音楽の専門家はキリスト教についての知識もおありでした。私がカトリックであることを伝えると、先生は米沢の聖公会の教会でもハープ教室を開いておられ、聖公会の方を存知あげているとのことでした。今日は恵みのいい出会いの一日でした。

 私が竪琴弾きになりたいのは、ご高齢のために教会に来られなくなっている方が増えているので、それならこちらからご訪問しよう、そして慰めに竪琴を...と思ったからです。ダビデのように弾けたらいいのですが、なかなかそうはいかない...でも、がんばります。
 「心の琴線に触れる」という時の「琴線」と聞いて、みなさんは何の楽器を思い浮かべますか。ギター、琴、三味線、いろいろありますが、私はやっぱり迷わず「ハープ」と答えますね。