有機農業家の取り組み

 実に15年ぶりに友人が二本松を訪ねて下さいました。これもまた不思議な結びつきです。
彼女は川崎市日本キリスト教団の「まぶね教会」の石井千恵美牧師です。私は30年前に祈りの一環として座禅をしていましたが、その時に出会いました。
 昨年の3.11の直後には彼女の知人のドイツのシスターが送ってきてくださったということでヨード剤をいち早く私たちのところに届けて下さったのです。
石井牧師が現在座禅を指導してくださっている老師の老師が山田耕雲老師で何と二本松市の大隣寺にそのお墓があるということで、お参りをしたいというでご一緒しました。

 
そして、東京や神戸の牧師さん8名様と合流しました。被災地訪問というスケデュールの一つに有機農業家の大内信一さん宅を訪ねるというのがあったことにまたまたびっくり。大内さんが内村鑑三の無教会派の信者さんということは知っていましたが、石井牧師さんとつながっていたということが驚きでした。
 
大内さんには私も有機野菜を提供して頂いて東京で販売しています。
大内さんは私がカトリックだということはご存じなかったとのことで、驚いておられました。そして、二本松でカトリックの信者に出会ったのも初めてだとのことでした。今まで黙っていてすみませんでした。

東京、神奈川県の牧師様方です。

右から2番目の方は神戸の牧師さんです。


有機農業の第一人者【大内信一さんのお話】
 45年前に三重県の「愛農会」で出会ったことが転機でした。その時初めて聖書を知り、5年後には有機農業とも出会い、聖書と農業が私の使命と感じるようになりました。「人を愛し、神を愛し、土を愛す」という三愛運動を柱にしていた愛農会から影響を受けました。
「福島の大地を守り福島で生きる、それが私に与えられたはかりなわである」旧約聖書預言者ははかり縄と言う言葉をたびたび使っています。はかり縄は、面積を測るしるしのついた縄で、それはまた鉛がついた紐のことも指すようです。「はかり縄は災いを下す」という箇所があります。この神様のはかり縄の下げ降りが、神の意志によって福島の地に落ちたと私は思いました。日本は経済発展を追求して成長を遂げました。その経済成長を維持するために原発をどうしてもやめることができません。そういう中で我々はどう生きるのか。やはり我々は与えられた土地で、与えられた状況の中で生き方を考えていくことが大切だと思います。
 残った我々は、福島の地を、花や作物で飾りたいと思っています。ひまわりやナタネは放射能をたくさん吸ってくれます。それは神様から与えられた大きな恵みであると感じました。またきれいな花が咲いて油がとれます。そして油にはセシウムは移行しません。その油は食用にもなりますし、エネルギーにもなります。福島では、今、農産物を作っても売れないし、人もいなくなるということで、田畑がどんどん荒れています。そういう中で、我々はそういう作物を与えられたと思います。
 原発が爆発したとき、ほうれん草が畑いっぱいに葉を広げておりました。収穫間近のものでした。その畑に行って私は感激しました。「ああ、ほうれん草が空から降った放射能を葉っぱで受け止めて土を守ってくれた」と思ったのです。そのほうれん草を軽トラック10台分ぐらいを運んで捨てました。ほうれん草が自分の身を犠牲にして土を守ってくれたと思いました。その時、小さい芽を出しているほうれん草もありました。5月になって大きくなったほうれん草を放射能検査しましたら、まったく吸っていませんでした。
 私は栄養が豊かな土地であれば、作物がセシウムを吸わなくてもいいのだと感じました。土の豊かさと作物の賢さがあいまって我々を助けてくれる。捨てなければならなかったほうれん草と食べられるほうれん草を見ながらそう感じました。ネギはすべすべしているので放射能をまったく寄せ付けません。根からもまったく吸いません。
 ネギの後には虫害も受けず立派なカブやニンジンが育っています。放射能も寄せ付けず、害虫も防いでくれるネギが我々の大きな助けになっています。しかし、放射能に対する不安から6割の消費者が去りました。それでも「大内さんが食べる野菜なら私も食べます」と言って、4割の人を我々を支えてくれています。
 この状況の中で何を作ろうか悩みましたが、ニンジンに着目しました。チェルノブイリでもキュウリ、ナス、トマトの次にニンジンが放射能の吸収が少ないことが分かっています。それをニンジンジュースにしようということで取り組んでいます。
 人間にはそれぞれ与えられたはかり縄があります。そしてやはり生きる糧になるのは聖書の言葉、聖書の歴史だと思います。それにより支えられておりますが、有機農業の面でもひとつの明確な方向性を与えられました。それは自分だけが安全なものを生産するのではなく、地域全体で安全なものを栽培していこうということです。
 私は福島を日本一安全な農産物の生産地にしたいという夢を持っています。我々が培った40年の蓄積を一般の人々にも広げていきたい、そのように思っています。
 福島を守ること、それはまず土地を守ることだと私は思っています。花と作物で、田んぼや畑を飾りたい、それが福島の行く道だと思っています。
 「はかり縄は楽しき地に落ちた」というのは私の好きな言葉ですが、現代の聖書では「はかりなわは麗しき地に...」とも訳されています。何年か後、福島の地が今よりももっと麗しき地に、楽しき地になるよう祈りながら我々は進みたいと思っています。