原町教会とその周辺の様子

 私の神学部時代の同級生で今は御受難会の司祭、染野治雄神父様(大阪、池田教会司祭)が福島を訪問してくださいました。原町教会とその近くの小高をご案内しました。
原町教会は改築も終わって、新しい神父様も着任され、準備万端、活動再開です。
実はアポなしで、原町教会を訪問しました。ところが、ちょうど新しく着任された狩浦正義神父様(中央)と、仮設の住民のためにケーキを焼いている方々がおられ、暖かく迎えて下さいました。右端が染野神父様。
 狩浦神父様といろいろお話が弾み、また、仮設の方々に持っていくはずのケーキを試食する役割もさせて頂き、恵みの時を過ごさせて頂きました。
 

 狩浦神父様は名古屋教区からご自分で希望なさって原発事故で苦しむ原町教会のために来て下さったとのことです。長崎五島のご出身だそうで、狩浦神父様の若い時代、長崎では司祭のいない教会のために働こうという機運があったそうで、それは今年65歳におなりになってもその精神は健在で、残りの人生を福島のために捧げる決心をしてくださった...とのことです。静かにそのようにお話下さって、私の心にしみじみと有難さと嬉しさがこみあげてきました。

修理が済んだお聖堂内。窓ガラスも地震のたびにガタガタとうるさい音を出すことがなくなりました。パイプオルガンもオルガニストを待っています。
幼稚園。かつて約80名いた園児たちは避難し、13名が残り、今現在、園児は19名に増えました!でも先生は3名に減りました。(福島では多くの子供たちが他県へ移り住んでしまったので、幼稚園や小中学校の先生方も失業してしまうことになります。)
近隣で評判のいい幼稚園でしたので、存続が決まって、本当に良かったです!放射能に負けるな!!頑張れ、福島!
原町教会から10km、原発から10〜20km圏内のところにある南相馬市小高区に行ってみました。小高駅前の商店街の様子です。
丸1年経っても当時のままです。この町はゴーストタウンです。誰も住んでいません。町が泣いています。町の悲しみの声が聞こえます。
田んぼの真ん中にあるのは、自販機です。流されたのでしょう...車窓から見える畑、田んぼのすべてが耕されることもなく、草ぼうぼう...
誰もいない町で、電気工事がされていました。「復興!」の希望を感じました!でもまさか、原発の再開ではないでしょうね?
また、写真を撮りそびれたのですが、誰もいないこの町でボランティアの若者10名ぐらいがれき撤去の作業を黙々としていました。そこに止まっていた車は「京都」のナンバーでした...。人知れず、働く若者に頭が下がります。
皆さん、これが何だかお分かりですか。
「政治家」が住むための家です。政治家はここに住んでみろ!私たちがどんな思いをしているのか自分で体験してから物を言え!という抗議です!
豊かな田園も静かな人々の生活も今やすべてが荒廃してしまいました。政治家はどこに視点をおいて物事を判断しているのか、もう一度、誰のための政治なのかを根本から問い直せ!という住民の抗議です。