『感情と霊的生活』1

 『神学ダイジェスト』2010年冬号No.109(pp.90-102)に興味深い論文が載っていました。タイトルに「司祭養成についての考察」(ジャン=ミシェル・ローラン著)とありますが、私たちにも参考になる部分を抜粋してご紹介します。
 神のみ旨を知るために、感情が果たしうる役割りについて述べられています。
【感情はメッセンジャーである】
・神は創造にあたって最初から、何らかの導きの手段を備えていたことは間違いない。
・神が語りかける方法は、私たちの感情を通して語りかけるのである。
・もし空腹を感じたら、何か食べるようにと体が教えてくれる。「怖い」と感じるのは、何らかの危険を察知したということだ。
・同様の過程が「高等」な感情でも生じる。感情はメッセンジャーである。感情は私たちに警告し、何が私たちに影響を及ぼそうとしているかについて注意を払うよう告げる、伝達者なのだ。
・(しかし)感情は感じられ、受け入れられるべきものだが、適切な識別なしに私たちを行動へと導いてよいものではない。
・感情の赴くままに考え無しに行動することのないように、一歩下がって、「私の耳にしたメッセージからすると、従うべき道はどれだろうか」と自問することが必要だ。...ビールが飲みたくてたまらない時でも、その後で運転するのだとすれば、常識が勝つべきだ。
・心の中で何かが生じているという重大かつ貴重な情報を、感情が伝えるのだ。
【感情は中立である】
・怒り、妬み、憎しみなどのある種の感情は、霊性の領域では悪いものとされてきた。...今日では一般的に、感情そのものに倫理的なニュアンスや、「良い」「悪い」のレッテルを与えるべきではないとされている。感情は倫理的には中立だからだ。
・自分の感情は、自分でそうと決めて感じるわけではないのだから、感情に対しては本当は責任はない。
・感情は、まさに内的状態を知らせるメッセンジャーである。
・幸福、喜び、平和、神の近さ、高揚感などの快適な感情が教えてくれるのは、何事もスムーズで、自分が順調に進んでいけるということだ。怒り、悲しみ、憂鬱、妬みなどの不快な感情が伝えるのは、どこかしらうまくいっていないという悪い知らせである。
・実際のところ、不快な感情は快い感情よりももっと重要なものなのだ。自分が健康だという事実には注意を払わずに生きていくことができる。だが、もし癌にかかったとすれば、発見は早いほど良い。
・不快な感情に気づいてそれを受け入れ、その感情がどんなメッセージを伝えようとしているかを問うことは、適切な行動をとるために重要である。
【不快な感情とその意味】
・「何かがおかしい」とはどういうことなのだろうか。..身体のレベルでは、傷みなどの感覚は、どこかの臓器や身体機能に問題があるというメッセージを伝えている。...心のレベルでは、心の痛手や傷つけられた経験、罪、神との関係における間違った態度などが不快な感情の原因として考えられる。
・心の痛みや悲しみは比較的分かりやすい。それらは傷つけられたというメッセージをまさに伝えるからだ。
・何が起きたのかを理解するためには、その傷を「見る」必要がある。親に対する憎しみが、自分の被った深い傷を受け入れられずにいることから来ている場合もある。
・罪深い態度は、すさみへと導く。
・罪深さとは、神との関係において自分を見違って位置づけることだ。神との関係の中心に立つべきは、私ではなく神である。
・快・不快の感情に、自分の心象風景の状態を知らせる働きがあるならば、そのすべてを自覚して受け入れて然るべきである。だが、感情を受け入れて自覚することと、感情にのっとって行動することとの間には、常に明確なく区別がなければならない。

―つづく―