ニューマン『司祭叙階前の黙想ノート』

                         《司祭叙階前の黙想ノート》
                                            セント・エウセビオ(ローマ)にて
                                                 1847年4月8〜17日
 私は心に傷を負っており、癌を病んでいる。それが私に良いオラトリオ会士たらんとすることを妨げている。多くの理由から、それを二、三の言葉で簡単に説明することはできない。
 私は規定通りのコースに沿って、自分のなすべきことを自覚して遂行できる状態にはある。しかし、より高次へとレベル・アップすることができない。私は地面を這う者、走る者としては充分にそうしているのだが、飛翔することができないでいる。私には上昇したいとか前進したいという望みの要素がないのだ。
 私は自覚する限りでは、この世の何をも望んでいない。富も、権力も、名声も望んではいない。しかし一方で、私は貧しさ、困難、制約、不便さが嫌いだ。不健康もそれをかつて経験した者として敬遠したいし、以前に味わった以上の身体の痛みも避けたい。私は裕福と貧困の間の中庸を好む。これが私の誘惑だ。しかしながら、もし神が私の全財産を放棄するように命ずるのであれば、大きな困難がなくそれができるように望む。
 私は18年もの間、修道生活のような生活をしたいと望んではいたのだが、今の私は生活の規則が嫌いだ。精神の安定、安全の保障、友人や本に囲まれ、問題がうまく対処された生活が良い。つまり、エピクロス的な生活だ。このような心の状態が、私にとって決して不思議ではないのだが、年々増大してきている。
 私は、神のみ旨に全てを委ねた確固たる習慣を持ち、また、神のみ旨を行なうことを望み、実際、より大きな問題においてはこの原則を守っているにもかかわらず、より小さな問題においては実際に神のみ旨を探し求めていない。そしてこの大きな問題においてさえ、私は神のみ旨を求めるためによく祈っていたのだが、私の行いというものは、信仰や愛によるというより、他の方法を許さない良心のようなもの、正しいという判断、自分に何が起こるかを看取し、首尾一貫した行動であることに由来していた。
 年齢を重ねる程に、かつて持っていた活力や精神力が奪われ、今はもうない。ちょうど手足が堅くなるように、今、私の精神もそのパワーも若々しい機敏さと融通性を失っている。私はカトリックになってから良い行いをすることが遅くなりぐずぐずしている。それ故に問題も起こさず働きもない。教会の聖なる習慣、聖なる機能、免償を得るための必要な任務、聖体顕示の手伝い、聖体の賛美式などに対して、新しい不慣れな役割をさせられる人のように、私は困惑している。ミサ、聖体訪問、ロザリオ、連祷、聖務日課などは全て私に喜びを与えてくれる。しかし、多くのものをしなければならない時、特に、それが綿密なものである時(つまり、免償を得るために必要な祈りであるとか、あらかじめ決められた祈りとか、ノベナの祈りの時など)、それは私の記憶力を圧倒してしまい、私の心に重荷となり、混乱させ、ほとんど恐ろしく感じてしまう。おそらく、それだけ私は几帳面な性格なのであろう。私は「決断」をすることを特に恐れている――というのが今現在のいい例である。
 ほとんどにおいて、私は自分の好きなようにしたい。私はむしろ家にいたいので言うが、他人の物事を引き受けるにも、歩くにも、旅行に出かけるにも、人を訪問するにも、自分が見つけた場所ややり方を変えたくはない。私は不満が多く、決断力がなく、不精で、疑い深い。私は地面を這っている、弱く、伏し目がちに、落胆して。
 さらに、私の心にある悪霊の永続的な働きや策略に対して、効果的で生き生きとした信仰を私は持つべきなのだが、持っていない。
 私は大人になったばかりの若い頃、自信があり、神に希望を持っていた。つまり、神のみ摂理に対して何の懸念もなく献身し、祈りの効力に最大の信頼を置き、いかなる逆境の時にも神は相応しい時に私を助け出して下さるだろうと静かに語っていたものだった。他人を励まし、行動的で、喜びに満ちていた。そして、慈しみ深い神は私の祈りに対して答えて下さったと信じて(正しくは、希望して)いた。しかし、20年かそれ以上も前から、勉学のために、聖なる事柄に自分の知性を用いようとすると、私の書いたものはほとんど間違いがなく有用なものだが、それでもやはり、私は自然な生来の信仰を失ってしまっていた。だから私は、神聖なものに対して当然示すべき尊敬の念もなく行動してしまいはしないかと恐れて、聖職に就くことに対して大きな不安を抱いている。また、私は神の言葉に対しても単純な信頼を失ってしまった。喜びも快活さももうない。友人や他人といる時に私は思いやりや親切心を示すが、私への神の無償の愛や祈りの効力に対する私の本来の信頼は次第に薄れている。私は神の遍在に対する本質的な認識や、そこから流れ出る良識と心の平安などは失っていないが、もはや祈りの習慣が決められた義務だというだけでなく、それによって我々は何でもできる大きな恵みであり特権であるとは、少なくとも以前より考えなくなった。わずかでか弱い信仰の力は私の中でけだるいものとなり、今日に至っている。
 さらに深刻な問題は、私はもう何年間も悲観的で陰鬱な心の状態に陥っている。といっても、心の底から全霊で「私の神、私の全て」という言うことができない訳ではない。その言葉はいつでも私の唇に上ってくる。だが、多くのことが私に重くのしかかっていた。様々な方法で、私は望みから遠ざけられていた。英国教会において、私には多くの誹謗者がいた。中傷の数々が私に浴びせかけられた。教会への私の奉仕は、教会で権力を持つ大部分の人によって偽りが伝えられた。私は孤独へと追いやられ、何年かは数人の友人とだけ過ごした。しかし、そのような隠棲生活にあっても好奇心で私を追いかけまわす人々から逃れることはできなかった。私はそのために怒りや憤慨に駆られなかったと信じる。またそう望んでいる。この点において、私は特に神経質ではない。しかし、このことは私を憂鬱にし、私から希望を奪った。そして今、かつてあった陽気さは私からほとんど消え失せた。そして、私はもはや若くないと非常に強く感じている。私の最高の年月が使い果たされ、その年月が過ぎ去ってしまったのだと思うと、私は悲しい。そして、私は自分が何にも相応しくなく、役に立たない丸太のように感じている。
 さらに、私はカトリックになったことによって、少なからぬ友人を失った。同時に死によって私にとって最も親しかった人々をも失った。
 さらには、私が数人の友人と生きる道を探し求めながら隠棲生活を送っていた時、私たちはカトリックに独自の多くの事、断食、黙想、静修、聖務日課、その他、教会や修道生活に付随する実践的なことをすることに慣れるようになっていた。だが今、私は虚脱状態を味わっている。人々が言うように、私が英国教会時代に喜んで行なっていたこれらの事を持続する力がないのだ。
 まだある。このことは自分にとっても不思議なことで説明するのが難しいのだが、愛情の変化によって、聖なる事であろうと人間的な事であろうと、私の体力はある限界を超えて行くことができないという特質が私にはある。私は両足を縛られて歩いている人にように、神を黙想することが常に物憂い。私は言うなれば、物理的に足枷をはめられて、説教においても何を話しても説得力がないばかりでなく、祈りや黙想への熱心さもない。
 その上、私は黙想で目標とした課題に集中することができないばかりでなく、毎日の祈りの言葉にさえ気が散漫だ。私の精神は絶え間なくさ迷っている。そして、単純なことであっても集中しようとすると頭痛を覚えるのだ。...

John Henry Newman Autobiographical Writings.Ed. Tristram,Henry. Sheed and Ward, London and New York, 1955, pp.245-248(原文はラテン語。Ibid.,pp.239-242)