安田さんの入れ歯

 安田さんのところにご聖体をお持ちした。ちょうどおやつの時間だった。ベッドサイドのテーブルに桜饅頭と牛乳が届けられていた。安田さんは、これが唯一の楽しみでね、とニコニコしながらおっしゃった。ご聖体拝領後に、私がどうぞお召し上がり下さいと言うと、茶目っ気のある笑みを浮かべて「楽しみは先に延ばす方が長く楽しめるからいいんです」と私に気を遣って召し上がらない。
 食べる話から、私がふと気づいて「安田さんはご自分の歯ですよね!」と遠慮もなく言ってしまった。すると、「いえいえ、入れ歯ですよ。」と言いながら、ポケットからティッシュを出して何をなさるかと思ったら、おもむろにティッシュを口に当てて入れ歯を外し出した。上と下とを両方外して「このとおりですよ」と私に見せてくれた。しかし、上は奥歯の数本だけ、下もわずか2本分だけの入れ歯で、97歳にして、ほとんどご自分の歯が残っている。これには恐れ入った。「安田さんは、食べ物の好き嫌いはないんですか」とさらに伺うと「私はいやしいんですよ。出されたものは何でも食べるんです。」と安田さん特有の自虐的表現でおっしゃったが、健康の秘訣を垣間見た気がした。だから食事もいつもおいしく頂いているとのことだ。
 こんな話をして、私が帰ろうとすると、安田さんは「もっとゆっくりしていったら如何ですか」と初めて私を引き止める言葉をかけられた。いつもは「お忙しいところ、すみません」と恐縮なさった態度だったので、この言葉が私には嬉しかった。