災害復興と女性〜ジェンダーを考える〜

 福島大学の「ジェンダーを考える」という大学1年生向けの授業を聴講している。今日は新潟県女性財団理事長の大島煦美子(おおしまくみこ)氏の「新潟県中越大震災から見えたこと」と題した災害復興の取り組みにいかに女性の役割が大事だったかという視点からの話だった。大学1年生に分かりやすく、実例を交えながら、男女差別が今なお残る現実の中にあって、誰をも傷つけることなく誰をも悪者とすることなく、人徳あふれる語りに魅せられながら、私は「ああ、カトリックの聖職者たちもこの方のようであったら」と、世の中の男女平等社会作りの進歩とカトリック界のその遅れに私は大きなギャップをしみじみと感じ嘆息していた。
 何よりも感動したことは、新潟県中越大震災の災害復興の取り組みにおいて、女性からのさまざまな意見が取り入れられたことだ。それはこの東日本大震災にも生かされている。被災者に女性がいるなら、男性には気づかない多くのことがある。防災や災害復興に関する改訂決定過程に女性が参画した。女性の意見を男性もまた聞く耳を持っていたことに感動したのである。大島氏の話を聞きながら、女性として人として解放感を覚えている自分がいた。これは単に災害対策においての問題に留まらない。人間存在の根本問題に言及する。
 そのようなことに感動するとは、どれほど自分はカトリック界の男女差別に我慢しているのだろうと顧みた。ジェンダーとは、社会が生んだ性差別である。信者の多くは女性だが、カトリック界で女性に発言権はない。聖職者は男性のみだからである。アジア・シノドスであるシスターが招かれて発言したところ、「これは司教会議ですぞ!」と女性に発言権はないことを改めてつきつめられたと言っておられた。私の神学の勉強中にもいろいろと女性に対する差別発言を教壇の上から滔々と語る教授もいて、女性である私は自分の存在を否定されたような思いをしたものだった。
 ふぅ〜。私はとらわれていた女性を解放して下さったイエズス様を信じる。後年構築された「制度」に対して私は信仰はない、当然だが。
 この福島大学の講座は5月から7月まで続く。楽しみである。